自由に生きる記録

高校生が思ったこと感じたこと書いてます。

生きるとは何か勝手に考えてみた話

生きるとは何か 人生とは何か
勝手に考えてみた

日本人の平均寿命が平均80歳くらいだとしてこの地球に私として生きることができる時間はたった80年しかないって考えると正直怖い。来世があるかもわからないしあったとしても次が人間なのかそれとも昆虫なのか植物なのかとか考えてしまう。人間からしたら二十年で死ぬのは早死にだけれど犬や猫にとっては長生きで、一緒に住んでいるのに違う時空を生きているみたいで悲しい。

地球が誕生してから46億年で何人が死んだのか、昔の寿命はもっともっと短かったのだから。私は老衰で死ぬのが夢だから。親がなくなるのを見るのは辛いけどそれが後に生まれた人の責任だと思うから。もし私に子供が産まれて先に死なれてしまったら生きていけないと思う。

ニュースで人が死んだニュースをみて死因が自殺だと本当に悲しくなる。この世に産まれてしまったことを後悔してしまったのかなとか残された人のことを考えて胸が苦しくなる。環境の変化、いじめとか失恋とかなんかその人なりに理由があったんだろうけど、その人が何を考えて死を選んだのかはその本人にしかわからないし仮に遺書を残していたとして文面だけで相手の気持ちを押しはかることはできないだろうし遺書を託された遺族にとってもやるせ無い気持ちになるんだろうなあと思う。もし家族が自ら死を選んでしまったらなぜもっと早くに気づいてあげられなかったのか自責の念に悩まされると思う。

ある動画のコメント欄に、死んだ人たちへの伝えられなかったことがたくさん綴られているのをみて、自分のことでもないのに勝手に苦しくなった。気づいてあげられなくてごめんね、今までありがとう、とか。死んだ人には絶対届かないんだろうけどそれでも相手に届くように書いたんだろうなあと考えて。

病気で娘を亡くしたお父さんが娘の花嫁姿を見たかった、母親を亡くした娘が結婚式にお母さんも来て欲しかったと言っているドキュメンタリーを見て勝手に一人で涙を流して、自分のことでもないのにもし自分がその立場だったらどんな思いでその場に入ればいいのかわからなくなりそうで怖い。

事故に関しては本当にタイミングでもしその場にいなかったら、もしあの時集合場所をそこにしなければ、あと一分遅くその場所に行けば刺されることもなかったかもしれないし車に突っ込まれることもなかった。このセリフは実際に起きてからじゃないとわからないしもしかしたら私たちが今一分遅く起きていたら通り魔に刺されていたかもしれないし、看板の下敷きになっていたかもしれないし工事中の現場から鉄骨が落ちてきたかもしれない
それでも不運と呼ばれるような事故で亡くなってしまった人にはまだしたいこともたくさんあっただろうし遺族もなんで自分の家族がそのようなめに会わなくては行けなかったのかとか考えてしまうと思う

死ぬってなんだろうって考えた時に私が最初に思いつくのは存在がなくなること。私という存在はみんなの中から忘れられて今まで頑張って生きて積み上げてきたものが消えてしまうこと。だから私は凡人なりに世界に名を残すことを一生懸命考える。もしノーベル賞をとったら有名になってみんな私のことを思い出してくれるかなとかなんか発明したらとか絵画でも描いてみたらとか映画に出演して興行収入が世界一位になったらとか。夢のような話を考えて自分という存在がこの世にどうにかして残るような方法を探す。周りから見たらただの変人かもしれないけど自分なりに本気で。死ぬのが怖いから生きている証をたくさん残す。こうやって誰も読まないような文をテスト前に書いたり絵を描いてみたり誰にも見せないけど勝手に物語書いてみたり。自分が生きていた証明をなも知らぬ誰かに証明するのはすごく難しいことでどうやればいいかわかんないけれど。生きている瞬間を切り取るように家族の動画を撮って。人間は最初に死んでしまった人の声を忘れるって聞いたことがあるから動画をたくさんとって後からしっかり見直せるように。ずっと忘れないように。